どうして日本語教師になったの?

日本語教師という仕事

こんにちは、フリーランス日本語教師のAmiです!

みなさんは日本語教師というお仕事を知っていますか?

周りに日本語教師をしている人はいらっしゃるでしょうか。

私は初めて会った人に職業を聞かれ、

アイコン名を入力

日本語教師ですよ!

と言うと高確率で驚かれます。

アイコン名を入力

初めて聞いた!どうやって何を教えるの?

アイコン名を入力

じゃあAmiさん英語ペラペラってこと?!

アイコン名を入力

日本語って自然に話してるけど、教えるとなると大変そう・・・

大体こんな返事が返ってきます。

みなさんはどんな印象をお持ちでしょうか。

今回は、そもそもどうして私が日本語教師になろうと思ったのか、過去を振り返りながらお伝えしようと思います。

これから日本語教師を目指す方、興味がある方に少しでもお役に立てたら嬉しいです!

出会いは高校生

私の歳は2025年現在、20代後半です。

そして日本語教師というお仕事の存在を知ったのは高校生の時でした。

進路指導が本格的に始まり進学先を決める時期、当時の私はかなり焦っていました。

同級生たちが「薬剤師」「看護師」「航空会社」「金融系」など、かなり具体的な夢を持っていたからです。

対して私は漠然と、「誰かの成長に直接関わって一緒に頑張って乗り越えたり、喜べたりしたらいいな」

くらいの思いでしたから・・・焦りは相当なものでした。

アイコン名を入力

どうしてみんなもう職業が決まってるの?!

と当時は困惑しつつ誰にも相談できず。

困った私は進路指導室に行き、「職業一覧」の本(かなり年季が入った)を手に取りました。

パラパラめくっていると、そこで発見したのです。

「日本語教師」

その文字を見たときにビビっと

アイコン名を入力

私がしたいこと!これだ!!!!!!

と感じたことを覚えています。

すぐに担当の先生に

アイコン名を入力

先生、私日本語の先生になりたい!

と言いに行ったのですが

先生は困った顔をしていました。

アイコン名を入力

あのね、その仕事は安定していないんだよ。

これから日本語の需要が上がるとも限らないし、現時点での先生方の給料はかなり安いと聞くよ。

私が通っていた学校は進学校で、先生も私の将来を案じて言ってくれたのはわかったのですが、

当時の私は

アイコン名を入力

そうなのか、この仕事はなんだか世間から認められていないのか・・・

という気持ちになってしまったのです。

今でこそ、コロナの影響でオンラインレッスンが盛んに行われるようになっていますが、

私が高校生だった当時は、対面での授業。

働き方が限られていたこともあったのでしょう。

それでもなんだか諦めきれず

ただぼんやり

アイコン名を入力

海外の人と関わりたい(英語話せないけど)

教える仕事に興味がある

という漠然とした思いを持ちながら、外国語専攻の大学へ進学することになったのでした。

海外インターンシップ

無事、大学に進学した私は

言語学や世界の歴史などを勉強する学科でぼんやりと日々を過ごしていました。

3年生になったタイミングで一つの転機が訪れます。

「海外インターンシップ」

私が通っていた大学に、いくつかのエージェント会社がインターンシップ説明会に来ていました。

なんとなしに聞きに行ってびっくり。

ほとんどの学生はインターンシップ先に

「カフェ」「お土産屋」「レストラン」などを選ぶのですが、

選択肢の中に

「日本語教師アシスタント」

というものがあったのです。

すぐに飛びつき話を聞くと、

オーストラリアの高校では第二言語に「日本語」を学ぶところがいくつかあるらしく、

その授業をしている現地の先生に「アシスタント」として生徒のサポートをする

というものでした。

アイコン名を入力

なんだそれ!面白そうすぎる!!!

とテンションが上がった私は即座に申し込み、オーストラリアへ向かったのでした。

(実際にどんなことをしたのかは後日、記事にします)

就職先は学習塾

色々乗り越え、無事大学を卒業した私は、日本の学習塾に入社していました。

そう、日本語教師にはならなかったのです。

理由はいくつかありました。

まずは安心のためです。

新卒で名も知れぬ会社に入社することはかなり不安でした。

親もかなり心配していたので、新卒で入る会社はある程度制度の整った会社に入っておきたかった、というのが大きかったです。

二つ目は、やはり給料の面。

日本で働くにしても海外に行くにしてもかなりの安月給。

夢と現実の差はここにもあるな、と落胆したのを覚えています。

と言うことでひとまず大手の学習塾へ入社。

そこで3年間、教育とは何たるかをしっかりと先輩方に教わり

教壇で生徒たちと向き合い続ける日々を過ごしました。

コロナの影響

新卒から働き始めて数年、コロナが発生。

当然学習塾も大きい影響を受けました。

塾は一時閉校。

代わりに行われたのが、オンラインレッスンでした。

教師の私は教室に一人でカメラに向かっていつも通りの授業。

対してカメラの向こうには同時に200人ほどの子供たちがいたこともありました。

慣れない環境での授業と、常にカメラの向こうの親御さんから監視されているようなプレッシャー。

普通に業務をこなしているつもりでしたが、

気づいた時には呼吸困難。

病院に行きレントゲンを撮ると、初めて聞く場所に穴が空いていました。

自然治癒なので2ヶ月は喋るなと言われ

喋りが仕事だったはずの私は事務担当に。

悔しい思いでいっぱいでしたが、

何日か過ごすうちに、気づいたことがありました。

これまでの仕事は忙しさが極まり、毎日何時間も大声を出し続け、帰宅後はほぼ失神状態で寝落ちていたのですが

それがなくなった分、心にゆとりができていたのです。

そして色々なことを落ち着いてゆっくり考える時間が増えました。

アイコン名を入力

私はこれから何年この仕事を続けていくの?

アイコン名を入力

教える仕事は楽しいが、この働き方ではまた体が壊れるかも

アイコン名を入力

来年からチームの責任者を任されるけど、私は本当にその仕事がしたい?

アイコン名を入力

そもそも何でこの会社に入ったんだっけ?

それからしばらくし、コロナは落ち着きましたが

私の気持ちは揺らいだまま

その後も何度か体調を崩し

これは心がSOSを出しているなと、この会社で働くことを一旦やめる決断をしたのでした。

リゾートバイトでの出会い

退職届を出した時点で、実はまだ先のことを何も決めていませんでした。

とにかく体と心を休めることが先だと思い、1ヶ月ゆっくりし

その後一旦実家へ戻りました。

しかし暇が苦手な性格の私は

何かないかと検索を始め

「リゾートバイト」いわゆる「リゾバ」に出会いました。

恥ずかしながらその時まで「リゾバ」という言葉を知らなかったのですが

アイコン名を入力

住む場所と食事の提供があって旅館で働く経験ができるの?!?面白そう!

という軽い気持ちでとりあえず1ヶ月契約し、長野県のとある旅館へ向かったのでした。

そこでの出会いにまた人生が変わるとは知らないで・・・。

提供された住まいはドン引きする程に年季の入った和室で

借りた枕の隙間には蜘蛛の死骸が挟まっているくらいだったのですが

そんなことに動じていたらやっていけないぞ精神で

働き始めました。

その旅館には正社員がいたり、アルバイトがいたり、私のようなリゾバの派遣がいたり、日本へ働きに来たネパール人がいたり

とにかく色々な年代の、色々な事情を抱えた人がいました。

そんな中、特に気になったのが私と同じくリゾバで来ていた年の近い人たちでした。

二人いたのですが、どうしてここで働いているのかと聞くと

アイコン名を入力

コロナの影響で海外行きが少し延期になったから、その間だけリゾバしてる

とのことで、海外の大学に行く予定、海外で働く予定の二人でした。

その二人がなんだかキラキラして見えて

私も自分の本当にしたかった夢を話したのです。

アイコン名を入力

実は日本語教師っていう仕事に興味があってさ

アイコン名を入力

え!いいじゃん!!すぐやりなよ!!!

アイコン名を入力

面白そうじゃん!!!いい夢だね!!

この返事にとても驚きました。

今までこの話をして、こんなにも早くポジティブに返事をくれる人がいなかったからです。

アイコン名を入力

なんか大変そう

アイコン名を入力

給料低いって聞くよ

アイコン名を入力

安定しないんじゃない?

そんな声ばかりに耳を傾けていた私にとって、本当に大きな衝撃だったのです。

アイコン名を入力

リゾバ終わったらすぐ始めるわ!

そこで私も即決しました。

なんだか二人に負けたくなくなったからです。

リゾバで働きながら空いた時間に日本語教師になるために必要なことを検索し

今の自分に出来る準備を始めました。

いざ、日本語教師になるために!

リゾバを終え、実家に戻った私は

すぐに計画を実行に移しました。

日本語教師という仕事に絶対必要な資格などはありませんでした。(当時は)

ただ、よく求められることに

①420時間日本語教師養成講座を受講する

②日本語教育能力検定試験に合格する

③大学の日本語教育専攻を修了する

このうちのどれか一つを満たしていることが必要です。

私の場合、今から③は難しいので、

①と②を同時に進めて取ることにしました。

実家に帰ったのが6月。

試験は10月だったので急いで勉強を始めました。

同時に420時間日本語教師養成講座も申し込みました。

この講座は人によって進むペースが違うらしく、

アイコン名を入力

大体の人は働きながら、とか主婦をしながら、1,2年かけて取りますね

と言われたのですが

アイコン名を入力

そんなに待てない!

という私は最短で終わらせることを決意。

同時にカフェでのアルバイトも始め、

てんやわんやの生活がまたスタートするのでした。

とにかく日本語教師やってみる

無事に日本語教育能力検定試験に一発合格でき、そろそろ養成講座も終盤だな

というタイミングで時間ができたので

アイコン名を入力

よし、先生やってみよう!

と日本語教師のオンラインレッスンができるサイトを調べ始めました。

語学学習のための場所はたくさんあったのですが

なんとなくの口コミでとあるサイトに教師登録し、

実際にレッスンを始めてみる事にしました。

私が他の先生より一歩リードしているのは、学習塾での3年の教師歴でした。

そこで培った経験を自信にして、養成講座で学んだことを参考にしながら

レッスンをこなしていきました。

詳しくはまた別の記事で書こうと思うのですが

緊張と楽しさが入り混じったいい経験をたくさん積むことができました。

そんなこんなでレッスンを続けているうちに

アイコン名を入力

どうせなら海外に行って、そこで教えてみたいな

という気持ちが芽生えました。

やっぱり対面でのレッスンの方が心の距離も近くなって好きだからです。

検索していると、コロナの影響もあってか、

あまり数がないように感じました。

やはり多いのは中国、韓国、フィリピン、台湾などアジアエリアが大半です。

ですが、今までヨーロッパに行った経験がなかった私はどうしてもヨーロッパに行ってみたく、

そこに絞って求人を探していました。

そしてたまたま出会った求人に申し込み、いいご縁があったので

その会社で働くことになったのでした。

いざヨーロッパで日本語教師!

資格を取りすぐに弾丸でヨーロッパに飛び立ち、初めての場所で1年暮らすことに。

不安半分ワクワク半分といったところでしたが

実際に対面でレッスンすることはやはり楽しくて

アイコン名を入力

こんな遠い場所に、日本語に興味があって、

日本が好きだといってくれる人がたくさんいるんだ!

と、とても嬉しい気持ちでいっぱいでした。

現地の学生さんにその国を案内してもらったり、新しくお友達ができたり

日本との違いにたくさん戸惑ったり

そこに行かないとわからないことにたくさん出会うことができました。

ここも詳しくは別記事で書こうと思います。

帰国後はオンライン教師として

1年の契約が終わり帰国。

その後はしばらく日本でオンライン教師として続けようと思い

今に至っています。

こうして現在は大好きな日本語教師という仕事を、時間や場所に縛られることなく、体も心も元気に続けることができています。

今の仕事に落ち着くまでは本当に色々な苦悩がありましたが、

その過去があったからこそ、たどり着いた結果です。

以上が私が日本語教師になった経緯です。

まとめ

私がしたいことは

アイコン名を入力

誰かの頑張りをサポートをしたい

アイコン名を入力

一緒に頑張って、一緒に成長を喜びたい

アイコン名を入力

もっと広い世界を見てみたい

アイコン名を入力

いろんな国の人と繋がりたい

そんな気持ちから、日本語教師という仕事を選びました。

したいこと、興味があることを掛け合わせたらうまく日本語教師にハマっただけなので

今後は違う形になるかもしれません。

現に今私はブログを書き始めています。

私の経験がきっと誰かの役に立てると思ったからです。

ひとことで「日本語教師」といっても今は働き方は人それぞれ。

日本語教師というお仕事に興味を持った方は、ぜひ、どんな働き方があるのか、自分に合う働き方があるか調べてみてくみさい。

私のブログからも今後、お役に立てるような情報を発信していきます。

日本語教師について悩んでいることがある方にとって

今回の記事が

アイコン名を入力

へー、そんな生き方の人もいるんだなあ

と気楽に、

そして何かのお役に立つことができていたらとても嬉しいです。

では!